遺言の作成には遺言能力が必要です。

遺言書の作成に際しては、遺言能力が必要とされています。
遺言能力とは、遺言者が遺言事項を具体的に決定し、その遺言によって自分が死んだ後にどのような結果をもたらすのかを理解できる能力のことをいいます。遺言能力がない方が作成した遺言は無効とされます。
民法上、15歳未満の方は遺言能力がないとされています。また成年被後見人についても、意思能力を一時的に回復した時に限り、医師2人以上の立会いのもと一定の要式に従えば遺言をすることが認められています。被保佐人と被補助人については遺言能力を制限する規定は置かれていません。
つまり、認知症を発症していても、その判断能力の程度によっては、有効に遺言を作成することができます。

認知症と遺言能力

判断能力を欠く常況にある成年後見人については、原則として遺言能力は認められず、一定の要件を満たした場合に限り例外的に遺言能力が認められているにすぎません。これに対し、判断能力が衰えた(被保佐人)、あるいは判断能力に不安がある(被補助人)場合であっても、遺言内容を理解し、その遺言によってもたらされる結果を理解できれば、単独で遺言を作成することができます。

後見類型成年被後見人被保佐人被補助人
判断能力の程度ほとんど判断能力を欠いた人 (例)買い物に行っても釣り銭の計算ができず、必ず誰かに代わってもらうなどの援助が必要な人判断能力がかなり衰えた人 (例)日常の買い物程度なら一人でできるが、不動産の売買や自動車の購入などの重要な財産行為を一人ですることが難しいと思われる人判断能力に不安がある人 (例)自動車の購入など重要な財産行為についても一人ですることができるかもしれないが、不安な部分が多く、援助者の支えがあった方が良いと思われる人
遺言能力原則:なし
例外:意思能力を一時的に回復した時は、医師2人の立会いの元、一時的に遺言をすることができる状態にあったことを遺言書に付記して、医師2人が署名押印すれば、有効に遺言を作成できる。
あり。保佐人の同意なしに単独で遺言を作成でき、医師の立会いは不要。あり。補助人の同意なしに単独で遺言を作成でき、医師の立会いは不要。

遺言書を作成する場合の注意点

認知症であっても、遺言能力があれば遺言書を作成することができます。ただし、認知症やその疑いがある場合には、後日、遺言能力の存否を巡って遺言書の有効性が争われる危険性があります。そのため、遺言書の作成に際しては、下記の点に注意する必要があります。

  1. ①遺言書は公正証書で作成するようにする
  2. 遺言内容は簡単なものにとどめる
  3. 遺言書作成時の様子を録音・録画しておく
  4. 日記や介護記録をつけておく

遺言書は公正証書で作成するようにする

判断能力に不安がある場合は、自筆証書遺言は避け、公正証書遺言で作成するようにしましょう。 自筆証書遺言には本人しか関与しませんが、公正証書遺言では公証人と2人の証人が関与することになるので、遺言能力について争いになった場合に有利に働く可能性があります。
ただし、公証人は医師ではないため、遺言能力の有無について正確に判断することはできません。また、遺言能力に疑いがある場合でも、遺言能力についての最終判断権者は裁判所にあることを理由に、公正証書遺言の作成に応ずべきとの見解が多数を占めることから、公正証書で遺言を作成したからと言って、必ずしもその有効性が確保されるわけではありません。公正証書遺言であっても、遺言能力が否定され、遺言が無効と判断された裁判例は存在します。
そのため、後日の紛争を防止するため、遺言書作成に際しては、医師の診断を受けて、遺言能力があることを確認しておく必要があります。また、遺言書作成時の様子を録画や録音に残し、遺言者に意思能力があったことの証拠を収集・保存しておくようにしましょう。さらに、遺言者の生活状況や言動、遺言書作成の契機となった事情などを日記や介護記録として残しておくことも重要です。


遺言内容は簡単なものにする

遺言能力の存否に関し、裁判所が判断する基準の一つに、「遺言書の内容が簡単なものか、複雑なものか」があります。一概にいうことはできませんが、判断能力が低下している場合であっても遺言内容が単純なものであれば遺言能力は肯定されやすく、逆に複雑な内容のものであれば遺言能力は否定される傾向にあります。そのため、ある程度認知症が進行している場合は、「Aに全財産を相続させる」など遺言内容はなるべく簡潔にした方がよいでしょう。複雑な内容の遺言書を作成すると、高度な意思能力が要求されることになるので、遺言自体が無効と判断される可能性が高くなるからです。

遺言能力の存否に関する判例

裁判所の判断基準

遺言能力の有無は、主に下記の事項をもとに判断されているといえます。
①診療記録や看護記録などに基づき、遺言言時における遺言者の精神上の障害の存否、内容及び程度
②遺言が本人の積極的な意思に基づくものか、それとも周囲の働きかけによるものか
③自筆証書遺言の場合は、本人の力で作成されたか、それとも他の者の働きかけがあったか
④公正証書遺言の場合は、口頭でどの程度詳しい説明ができたか否か
⑤遺言当時の本人の言動などから、遺言作成の真意や動機
⑥遺言の内容が単純なものか複雑なものか
⑦遺言内容が遺言作成当時に遺言者が置かれていた状況になじむものかなど

公正証書遺言の効力が否定された裁判例

横浜地判平成18年9月15日
公証人が遺言者の自宅を訪問して、あらかじめ信託銀行職員が作成した遺言の原案を読み上げて遺言者に確認をし、その通りでよいとの答えを得たうえで作成された公正証書遺言の効力が否定された事案。
裁判所は、遺言者が遺言作成時に中等度から高度に相当するアルツハイマー型認知症をり患し、恒常的な記憶障害や見当識障害があったこと、作成5か月前の長谷川式簡易知能評価が9点であり、高度の痴呆が認められると診断されたこと、会話についても簡単な会話のみに応答する程度であったこと、遺言内容については、複数の不動産などを複数の相続人にわけ、一部を共有としたうえ、遺言執行者も複数名指定するなど比較的複雑なものであったことなどを総合的に考慮して、遺言能力は有していなかったと判断しました。

東京高判平成22年7月15日
長年遺言者と同居し介護を受けていた養子に一切の財産を残さず、妹に言われるままに司法書士の関与のもと作成された公正証書遺言の効力を否定した事案。
裁判所は、遺言者が遺言書作成の半年前に医師から痴呆ないしは認知症の診断を受けていたこと、遺言書作成のころには近隣の知人の顔がわからない、昼夜を逆転して認識する、妄想的被害を訴えるなどの認知症特有の症状が現れていたこと、遺言の内容は、現に介護を受けている養子も居住する不動産を含めてすべての財産を妹に遺贈するものであって、養子のことを少しも考慮していないことなどを合わせて考えると、遺言能力があったものということはできないとしました。


遺言能力を肯定した裁判例

大阪高判平成21年6月9日
弁護士関与のもと、全財産を長男に相続させる内容で作成された公正証書遺言において、遺言内容が比較的簡単なものであったこと、遺言書作成に至るまでの経緯および作成当日の行動につき遺言者に異常な点は存在せず、初対面の公証人と弁護士も特に異常な点を認めていないことなどを考慮し、遺言書作成時点で遺言者に遺言能力がなかったと認めることはできないとした。