認知症対策と、今後の生活資金を確保するために、所有不動産に家族信託を設定したケース
相談内容
自営業を営むAさんは店舗と自宅マンションを所有していますが、預貯金がほとんどなく、もらえる年金も少額で、生活費の不足分は、長女のBさんが援助しています。
Bさんには小学生のお子さんがおり、お子さんの進学費用など蓄えを残しておく必要があるため、これまで通りAさんを援助し続けることは難しくなっています。
そこで、店舗を売却して、その売却代金をAさんの今後の生活費にあてることを考えてはいますが、仕事が生き甲斐のAさんはなかなか踏ん切りがつきません。
ただ、最近Aさんの物忘れがひどくなってきたことから、もしも認知症になった場合に備えて、何かしらの対策はできないかと、当事務所へご相談にこられました。
後見制度では解決できない
Aさんが所有する不動産は、店舗・自宅ともに、立地が良く売却をすれば、Aさんの今後の生活を賄えるだけでなく、お子さんたちにも十分なお金を残すことができます。
ただし、Aさんの判断能力が低下すれば、Aさんが不動産を売却することはできず、成年後見人の選任が必要となってしまいます。
Aさんは一人暮らしをしていますが、長女のBさんが定期的にAさんの自宅を訪ね、生活用品の補充や、家計簿の記帳だけでなく店舗の帳簿の管理も行い、Aさんの収支について非常に透明性のある管理を行っています。
もし、Aさんに成年後見人がつけば、Aさんの財産の管理はBさんから全くの他人である後見人に移ることになり、それに伴いBさんがこれまで無償で行ってきたことに対し、毎月2万円以上の後見人報酬の支払いが必要となってしまいます。
また、自宅については後見人の判断だけで売却することはできず、裁判所の許可が必要とされていることから、売却までに時間を要し、売却時期を逸する危険性もあります。
そして何より、Aさんにとって仕事は生き甲斐です。生活資金を確保するためとはいえ、店舗を売却してしまうことになれば、Aさんは生き甲斐を失うとともに生きる気力も失ってしまうかもしれません。
そのことを一番心配しているのが長女のBさんです。そこでBさんは、店舗をすぐに売却してしまうのではなく、店舗の一部を貸し出し、その賃料でAさんの生活資金を確保できないか、店舗の空きスペースの利用を検討していますが、後見人には管理財産を積極的に運用することは許されていませんので、Aさんに後見人がつくようなことになれば、Aさんの生活資金がショートすればAさんの生き甲斐である店舗は売却されてしまうことになり、Aさんの状況に応じた柔軟な財産の活用は望めません。
そこで、家族信託の利用をご提案させていただきました。
家族信託
Aさんを委託者および受益者、Bさんを受託者とし、店舗と自宅を信託財産とする家族信託を設定します。
家族信託によって店舗と自宅の所有権の名義をAさんからBさんへ移転することで、もしもAさんが認知症を発症しても、Aさんの状況に応じて、Bさんが店舗や自宅を売却したり、店舗の一部または全部を賃貸にだすことができます。賃料や売却代金は、Aさんの生活資金として毎月一定額が給付され、施設の入所や入院等の必要に応じて費用が支払われることになります。
Aさんには預貯金はほとんどありませんので、金銭の信託はないため、店舗の一部・全部貸し出しに際し、リフォームが必要となった場合は、Bさんが金融機関から信託不動産を担保に資金の融資が受けられるように担保権の設定権限も受託者Bさんに与えています。
Aさんが認知症を発症し、一人暮らしが困難になった場合、介護施設や老人ホームの入居も検討されていますが、Aさん自身、あまり乗り気ではありません。そのため、BさんがAさんを引き取り、一緒に暮らすことも視野に入れて、自宅の売却代金を施設入所費用の支弁に充てるだけでなく、BさんがAさんと同居できるため二世帯住宅の購入資金にも充てられるよう信託契約書に明記しておきます。
Aさんが存命中の信託の運用に際しては、あらゆる事態を想定して、Bさんに裁量権限を大きめに与え、「Aさんの生活資金を確保し,生涯にわたって安定かつ幸福な生活を送れるよう最大限の支援を行うことを目的とする」信託の目的に反しない限り、柔軟な財産の管理運用ができるように設計しています。
信託口口座が開設できない場合
受託者の財産とは信託財産を明確に分離するため、信託不動産の収益(賃料)や売却代金などを管理する信託専用口座の開設が必要ですが、今回のケースのように信託設定時に金銭を信託しない場合は、あらかじめ信託口口座を開設することができませんでした(三井住友信託銀行では、原則3000万円以上(ケースによっては1000万円以上)の金銭信託がない場合は、信託口口座の開設を受け付けていません)。
そこで、受託者Bさん名義の口座を新たに開設してもらい、その口座が信託専用口座であることがわかるよう、信託契約書に銀行名、支店、口座番号まで明記し、他の親族に周知しておいてもらうようにしました。
信託口口座と信託専用口座
信託口口座とは、口座名義が「委託者A受託者B」とする信託財産を管理するための口座。外形上も信託口座であることがわかるので、仮に受託者が先に亡くなった場合でも凍結のリスクはありません。
他方、信託専用口座は、口座名義が受託者個人名義となるため、外見上、受託者の個人口座となることから、受託者が先に死亡した場合は、受託者の相続人が所定の相続手続きを取らない限り、口座は凍結されたままとなり、後継受託者による円滑な管理運用が望めなくなります。
そのため専門家の多くが信託専用口座ではなく信託口口座の開設を強く勧めているわけですが、信託口口座を開設できる銀行はほんのわずかしかなく(私自身は三井住友信託銀行しか利用したことがありません)、口座開設に要件(原則3000万円以上、など)が付されているため、ケースによっては信託口口座を開設したくても開設できない場合があります。
今回のケースのように信託口口座を開設できない場合は、対外的にその口座が信託専用口座であることを主張できるため、必ず信託契約書の中に、銀行名、支店名、口座番号を明記するようにしましょう。
信託終了後の帰属権利者
今回のケースでは、委託者兼受益者のAさんの死亡により信託が終了するように設定しています。
信託が終了すれば、残った信託財産は、Aさんの遺産として相続の対象となります。
Aさんには、お子さんが4人いますが、そのうちのお一人が、10年以上音信不通になっています。
Aさんは韓国国籍で、お子さんも全て韓国国籍の方です。
日本国籍の方の場合は、相続人のなかに音信不通の方がいらっしゃっても、戸籍を辿り、戸籍の附票がとれれば、住所が判明しますので、連絡を取ることも可能です。
一方、韓国国籍の方の場合は、韓国の戸籍(除籍、家族関係簿)からは、その人の住所につながる手がかりを得ることはできず、住所がわからなければ、連絡の取り様がありません。
そのため、韓国国籍の方の中に行く不明の方がいれば、不在者財産管理人の選任や、失踪宣告など別の手続きが必要となり、遺産分割が終了するまでに1年以上の期間を要し、かつ費用も多くかかってしまうことになります。
家族信託では、信託終了後の信託財産の帰属権利者(あるいは第2受益者)を定めておけば、相続人全員による遺産分割協議を省略させることができ、まさに遺言と同様の機能を果たすことになります。
もちろん、遺留分の問題は残りますが、今回のケースでは、行方不明のお子さんがみつかれば、遺留分相当の財産をわたすことに、他のお子さんたちが同意されていたので、行方不明のお子さんを除く3人のお子さんを帰属権利者とする信託契約書を作成しました。
信託登記
公正証書で信託契約書を作成した後、すぐに信託を原因とする所有権移転登記を申請しました。
外国籍の方でも、住民票に通称名が併記されていれば、通称名で登記をすることができます。
通称名で登記できるか?
外国人(朝鮮人)が登記名義人たるべき場合には、その本国の氏名を表示するのが相当であるが、その外国人登録済証明書に、本国の氏名とともに併記された日本において使用している氏名(通称名)をもって、便宜登記名義とすることが許される。(昭和38年9月25日民三発666課長回答)
今回のケースでも既にAさんは通称名で登記されており、Bさんも通称名での登記を希望したことから、所有権名義人は通称名で登記することにしました。
ただ、信託登記の場合、信託目録に委託者と受託者、受益者の氏名・住所の記載が必要となり、公正証書には○○(通称名)コト○○(本国の氏名)と記載されていたため、通称名だけの記載としてよいのか、公正証書通りの記載としなければならないか、迷ったため、あらかじめ法務局へ質問票を提出しておきました。その結果、通称名のみの記載でよいとの回答により、信託目録の記載もすべて通称名で申請しました。
オンライン申請だったからか、申請後2,3日で登記が完了し、本件は無事に終了しました。